三重県鳥羽市の鳥羽一番街という商業施設の中に、「鳥羽三女神」の代理受付所なる看板がありました。
都合で行けない人のために、願い事を書いた願い札を入れるBOXが置いてあります。
何度か鳥羽を訪れていても季節が合わず、いつかは行くつもりでBOXは利用していませんでした。
伊射波神社は秘境で、基本的に山歩きのようなので、冬が良いと思ったのです。
そしてようやく訪れることができました。
実際に行ってみて、昔の人がなぜ舟で参拝したのかがよくわかりました。
でも秘境とはいえ有名になってきたためか、思ったよりは行きやすかったです。
風光明媚で、良かったですよ。
伊射波神社の駐車場が移転・増設されていた
ナビに「伊射波神社」と入力すると、車ではこの広場までの案内でした。
鳥羽駅から出ているコミュニティバスの終点「安楽島」バス停もあります。
左手の大きな建物は文久2年に建てられた、近くの満留山神社に芝居を奉納したという「安楽島舞台」というものだそう。
鬼瓦のあたりを見てください。
鬼瓦は鯛を釣る恵比寿様で、破風の飾り(懸魚というようです)は鶴が舞っているという、おめでたい立派なものでした。
伊射波神社の案内板が、バス停の木の下にあります。
手描きの地図がいいですね。
伊射波神社は加布良古岬にあることから、地元では「かぶらこさん」と呼ぶそうです。
御朱印の必要な方は、山上の神社社務所ではなく、案内板近くの宮司さん宅に伺う必要がありますので、この地図で確認すると良いですよ。
そして、この広場が駐車場かと思いましたが、違いました。
というよりも、以前はここが2社の専用駐車場だったのを、伊射波神社の人気が出てきたので別に増設されたようですね。
広場のすぐ横の坂を上り、進んでいくと、この小屋のあるT字路に突き当ります。
左へ曲がると、伊射波神社と海水浴場の共同駐車場がありました。
すぐ手前は旅館「かめや」さんの駐車場です。その奥に進むとちょっと広めの駐車場があるので、車はそちらに。
透明度抜群の海と海水浴場の施設がある
T字路の右側はすぐ海です。
小さな砂浜の海水浴場がこの下にあるんです。
写真の左端に、きれいなトイレと更衣室のある建物が写りました。
これから往復1時間以上山の中ですから、トイレはここで済ませていくことをおすすめします。
建物から見た海の、この透明度はどうですか‼
ここまでの透明度はなかなかないんじゃないでしょうか。
夏に泳いでみたくなりました。
山道はわかりやすく整備されていた
さて、駐車場の方向に戻り、神社をめざします。
所々に道標があるので、迷うことはありません。
手前の「右 一之宮」の道標に少し歴史を感じますね。
新しい木の道標には、距離も書いてある親切さです。
山道ですが意外に広かったり、舗装がされていたりします。
もちろん未舗装も、狭い所もありますよ。
全部舗装されていたら、秘境感台無しですもんね。
アップダウンの結構ある山道です。
竹林が切り通しになって道が通っていました。
そうでなかったらもっとすごい登りだったということ。
でもこのあたりは神社までの道の、まだ序の口です。
途中開けた所に、なんとイノシシが4頭、罠にかかっていました。
大きさから言うとウリ坊を過ぎたくらいの子供でしょうか。
シマシマ模様はとうになく、顔つきはもう成獣と同じ。
筆者が写真を撮るために恐る恐る近づくと、興奮して檻に突進する力が物凄かったです。
これが猪突猛進! 怖ッ‼
警戒心が強いので、何もしなければ向こうから逃げ出すそうですが、なるべくなら檻なしでは遭遇したくありませんね。
岬が見えてきました。
伊射波神社はあの山の上です。
その前に海岸の一の鳥居に出ますが、少し引っ込んでいて、ここからは鳥居が見えません。
少し坂を上り、すぐに写真のところを下ると一の鳥居の横に出ます。
この坂は短いので大丈夫ですが、これから傾斜が厳しくなるので、木札の横に貸し出し用の杖が置いてあります。
年配者や運動不足の方には、これはぜひおすすめ。
筆者の場合もこれが非常にありがたかったのです。往きより帰りの方が特に。
古墳時代から崇敬されたということ
坂を下り切ると、一の鳥居のこの位置に出ます。
たまたま出会った地元の方が、記念写真を撮って下さいました。
鳥居周辺の様子がよくわかりますね。ありがとうございました。
昭和初期までは、舟で来て参拝したために、海に向かって鳥居が立っているのです。
これまで通ってきた山道を思えば、今のように整備されていない時代は、海路の方が便利だったに違いありません。
伊射波神社の創建年は不明ですが、言い伝えでは1,500年以上の歴史があるそうです。
社標にある「式内」というのは「延喜式神名帳」に載っているという意味なので、この時点で少なくとも1,000年は経っています。
また、日本書紀にも出てくるので、それで1,300年前確定。
1,500年前というのは古墳時代なので、奥にある領有神を古代の自然崇拝からのものと見れば、十分納得できます。
いよいよ神社に向かいますが、鳥居をくぐった先を見ると、なんということでしょう。
ものすごい急角度の石段。ひえ~。
昔の人は、舟を降りていきなりここを登ったということですか。
そうまでして参拝するほどの神社だということですね。
石段を過ぎるとこれまたけっこうな角度の山道。
往きは良いんです。息があがるだけだから。
帰りはぜひ足元に気を付けてくださいね。あまりの急角度に着地が危なっかしいです。
ここで杖が役に立つんです。
遠くに二の鳥居が見えて来ました。
その先はなだらかになりますので、あと一息ですよ。
鳥羽三女神の1社、女性の願いを叶えてくれるかぶらこさん
伊射波神社に到着しました。
鳥居の奥が拝殿です。
引き戸を開け中に入って参拝します。
ガラス戸の正面に本殿が見えます。
ご祭神は4柱で、稚日女尊・伊佐波登美尊・玉柱屋姫命・狭依姫命。
稚日女尊は、日本書紀にある神功皇后の三韓外征の際に神託を聞いた時に現れた神で、「我は尾田の吾田節の淡郡(加布良古、安楽島の旧地名)にいる神である」と名乗りました。
外征の帰路に船がまっすぐに進まなかった時にも、神託に従って希望の地(現、神戸・生田神社)にお祀りしたところ、平穏に海を渡ることができたそうです。
鳥羽の三女神として、縁結びの神ともされていますが、どうして縁結びなのかはちょっと不明。
もしかして縁結びは、伊佐波登美尊と玉柱屋姫命の夫婦神が担っているのかも?
この神々は、倭姫命が神宮の候補地を探して志摩国を訪れた時に最初に出迎えた神とその妻神なんです。
伊勢の猿田彦神社の大田命と同期、ですね。
狭依姫命は、後から合祀された宗像三女神(海上安全の神)のうちの1柱です。
志摩国は海の国ですもんね。
領有神へ「梛の道」を行く
参拝後はすぐそばの「梛の道」を、領有神にお会いするため、進みます。
加布良古岬まで250m、なだらかな道です。
梛(なぎ)は熊野ではご神木
道は冬なのでこんな感じ。
山道としてはきれいな、広めの道です。これも有名になって整備されたのではないでしょうか。
夏は草とか、どうなのでしょう。
筆者はもっと道なき道を想像していたので、夏は嫌だと思っていたのですが、この分では夏も大丈夫そうですね。
梛というのは木の名前でした。
針葉樹ですが、葉が広葉樹のような形をしているマキ科の常緑樹だそうです。
どの木がそうなのかわかりませんでしたが、熊野ではご神木とされ、その葉をお守りに入れるとか。
「なぎ」が凪に通じることから、特に船乗りさんに信仰があるとのことです。
しばらくするとあずま屋があり、その前に領有神の鳥居がありました。
領有神とは統治する神―古来の石神さんのことでした
きれいな三角形をしている石で、海上守護神、ご神体とされています。
「うしはく」とは領有し統治するという意味です。
古事記の国譲りに「汝(大国主命)が領ける葦原中津国は、我が御子(瓊瓊杵尊)の知らさむ国…」とあります。
これで言うと領有神とは古来土着で統治してきた神のことを言うようですね。
恐らく、1,500年前に志摩国の海上守護神として崇敬されていたのはこの石神さんなのでしょう。
相差や上之郷・横山の石神さんが有名ですが、こちらも立派な石神さんではありませんか。
日本の神道は山や海などの自然に神霊を見て、岩や木などを依り代としてお祀りすることから始まっていますからね。
日本書記ができた後からは、この石を依り代とした稚日女尊ということになるのかな。
元々の伊射波神社は、戦国時代に社地を失ったそうで、江戸時代後期の安政の大地震と津波(南海トラフですって!)で記録が流失しており、詳しいことがわからなくなりました。
鳥羽一番街にある鳥羽三女神の案内板によると、昔は今の位置より岬の先端の方に神社があったのが、その後本殿・拝殿は現在地に移されたとあります。
昔の神社とは、まさに領有神のことではありませんか。
そして伊射波神社は志摩国一之宮ですが、実はもう一社、志摩国一之宮があるのです。
それが内宮別宮である「伊雑宮」。
こちらにも伊佐波登美尊の名が見え、志摩国一之宮がなぜ2社あるのかもまた、謎の1つです。
「奇跡の窓」を撮れたことが奇跡かも
領有神の右手になりますが、順路としては左の整備された道から回り込む方が、足元が良いです。
ベンチが置いてありました。
ただ、伺った時は葉が繫り過ぎなのか、窓が小さくなってました(悲)。
私の身長が低いせいで窓の中央に紙垂が入らない!
この体重でベンチに上ると壊れるかもしれないし…。
肉眼では窓のはるか向こうに青い海と青い空が見え、時々船も通って行きます。
写真では木陰が濃くて紙垂が写りにくく、紙垂を撮ろうとすると窓の向こうの海が消える…!
少々補正させていただきました。その限界がこちら。
何とか撮れたのでよしとしましょう。
もう一つの奇跡の窓はいかが?
海上守護神が岬に鎮座しておられるのは理に適ってますよね。
なかなかハードな道のりでしたが、きれいな景色も見られ、清々しい気分になりとても良かったです。
往復約1時間のつもりだったのが個人差で、休み休み写真も撮りながら、じっくり2時間かかりました。
この間お見掛けした方はカップル1組の他、男性2名、女性2名。
山道とはいえきれいに整備されていて、氏子の皆さんに感謝、感謝です。
最後にもう一つの奇跡の窓(?)の写真をどうぞ。
帰り道の急斜面の石段上から見た、一の鳥居です。
足元に気を付けてお帰り下さいね。
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