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認知症はないが夢見る高プライドの高齢者とのつきあい方

芽吹き
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90歳を過ぎた叔母が昨年の年明け唐突に、飛騨の芽吹きの情景を見に行こう、と言い出しました。

何でも、様々な緑の色が、感動するほど美しいのだとか。

「行こう」と言っても、叔母はとっくに免許返納しているので、私に連れて行ってと言うことですね。

一人娘の従妹は、今や実母より自分の子や孫の問題に意識が向いているため、叔母は寂しいのにそうとは言えないのかも。

それなら叔母の相手をしてあげようと思いました。

てっきり叔母と二人で行くのだと思い、従妹に以前行った時の様子を聞こうとしたら、思いがけず従妹も行くのだとのこと。

従妹の方でも筆者が一緒というのは初耳だったよう。

どういうこと?単に言い忘れただけ?

一瞬、認知症を疑いました。従妹に頼んだのを忘れて筆者にも頼んだとか?

以前短期入院した後、ヘルパーさんを頼もうかと話していたそうで、筆者をそのヘルパーさんと間違えた前例があるので。

まぁ入院という特別な出来事の後では、一時的な混乱もよくあることと、その時は収まりましたが。

結局ヘルパーさんは頼まず、自立できているとの事。

敷地内に従妹の家があるので、食事や入浴などはそちらに行っているそうですが。

きれいな景色を見に行きたいという意欲も失っていないので、軽度認知障害(MCI)でもなさそう。

でも高齢で要支援2だし、様子は見てあげないとな、と思っていたのですが。

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ともあれ、従妹と二人で観光協会に問い合わせたり、ライブカメラがあるか調べたり。

「どこかで春が」という童謡に「♪どこかで芽の出る音がする 山の3月そよ風吹いて…」という歌詞があるので、3月じゃないの?とか。

地元の観光協会のお話では、大体GWあたりとのことでしたが、何年か前にも同じ注文を叶えるべく5月に行った時には「これじゃない」と言われたそうです。

一昨年とその前に行った時も、「違う」と。

そんなに毎年こだわっているのもびっくりですけど。

桜や藤などの花でも見頃の時期ピッタリに行くのは難しいですが、芽吹きの時というのはもっと情報が少なくてまさに至難の業。

従妹と行った5月は既に時期が外れていたようだし、観光協会に趣旨がうまく伝わったのかどうか?との思いもあって、4月上旬に行くことになりました。

でも実際に着いてみるとやっぱりちょっと早過ぎたようです。

芽吹きなので葉っぱが見当たらないのは当たり前なんですが、それでもやっぱり枝ばっかりで。

標高が高いので、峠には雪がまだ残っています。

麓ではとっくに青葉が広がっている時期だったのに、さすがに標高1000m。

せせらぎ街道 小屋

その中で、なんとか期待に沿えたのはこの1本のみ。

枝先がほの赤く、先端では黄緑色の新芽が芽吹き進行中でした。

肉眼だと見たいものを集中的に見るので、写真よりも近く大きく見えるんですよね。

でももっと至近距離で見られるか、他の木ももっと芽吹いていたら良かったのに。

この木に近づくには手前に雪の斜面があるんですよ。

西ウレ峠2025

叔母は「見られて良かったわ」と言い、記念に写真も撮りましたが、心からそう思っているようではなく、明らかに従妹や筆者に気を使ってのセリフ。

その後、奈良県の友人を案内することになって行った道の駅で、下の写真を撮りました。

せめてこれくらい葉が出ていれば良かったのでは?と思ったり、芽吹きにしてはちょっと出過ぎかなと思ったり。

従妹も用事で行った先で、「ああ、これかな」と思ったことがあったそうです。

ただ従妹が言うには、叔母の頭には好みの画家の絵のイメージがあるのかもしれないとのことでした。

木の芽時

筆者には、叔母の「芽吹きの情景」へのこだわり方と、車内でのやりとりに、ちょっとした違和感がありました。

思い出話の合い間に突然出てくる平安時代のオーロラの話、「更級日記」だか「蜻蛉日記」だかの話。

筆者にはチンプンカンプンなので、二人が話しているのを適当に聞き流していました。まあ、教師一家の人たちだからな、と思って。

でも従妹の返事も素っ気なかったりキツかったり。変だなあ、従妹はいつも思いやりのある言い方をするのに。

従妹の虫の居所が悪いのは確かでした。

こんな時は自分のことじゃなくても緊張しますよね。

期待が外れてがっかりしていたのと、きつく当たられていたのもちょっと気の毒になったので、筆者は学生時代に通った画材店に行って、上質のパステルとそれに合ったスケッチブックを買い、叔母にプレゼントしました。

画家のイメージを追っているのならなおさら、自分でそんな雰囲気の絵を描くことができれば良いんじゃないか、と思ったので。

パステルの黄緑をざざざっと塗って、青や黄色やオレンジも少し足してティッシュでぐじゃぐじゃにして、レクチャー。

この描き方に叔母はびっくりしていましたが、出来上がりの色は気に入った様子でした。

そうそう、形はなくていいんです。雰囲気があっていれば。

叔母は描かないかもしれませんが、それでもいいし、きれいな色を見て気分を発散してくれればもっといいや。

筆者や従妹が叔母のことをちゃんと気にしているよということだけ伝わればいいかと思って。

これは自己満足か?賛否両論。

昨年はそのほかにも叔母を誘ってラベンダーを見に行ったり、県内の観光地に立ち寄ったりしていましたが、年齢のせいもあって、座って話をしている時間の方が長いです。

仲が良さそうに見えるでしょうが、実は筆者はこの叔母が苦手。

筆者と全く関係のない、知人の話をしたり、叔父と毎年のように行っていた海外旅行の話をしたり、筆者の母とどんなに仲が良かったかを延々と話題にするので、正直聞いているのが苦しいことも。

それでもお相手をしているのは、叔母もそれなりには良くしてくれているからです。

ただ次第に呼び出しが頻繁になり、理由もこじつけ度が増してきました。

「あげたいものがある」「お姉ちゃん(筆者の母)のお墓参りに行こう」は良いのですが、お墓参りはつい最近も行ったのに。

「何度行ったっていいじゃないの」

正論ですが、怒られる必要はない気がする。昔から押しが強いのですが。

そんなこんなで近ごろなんだかおかしいので、叔母の家に行く前に、従妹の家に寄って話を聞きました。

なんと数年前から意見が合わず、実は叔母を邪険にしているとの事。え、え、えー!

放っているのではなく、必要な援助をしたり、旅行にも一緒に行くのだけれど、ことあるごとに衝突するのだそう。

叔母の高尚な趣味やお気に入りの店や、味の違いが判ることや深い教養などを、従妹は嫌がってことごとく否定している様子。

そうですね、それ自体は悪いことではないけれど、叔母の場合は格の違いを筆者にも示してくれたりするから、わかる気もする。

そういうことを聞いてやっと、昨年の芽吹きツアーの時の、不可解な話題とその対応についての謎が解けました。

従妹の虫の居所が悪いと思っていたのは、そうとは言わないけれど筆者の気持ちを思いやってくれていたのですね。

そして叔母の場にそぐわない唐突な話題は、それを頼りに筆者に助けを求めていたのだと。

あの「芽吹きの情景」も、どうやら高名な日本画家の作風である、静寂の淡い緑のグラデーションを体感したかったらしいのです。

淡い緑だから芽吹きだと思ったのかも。それで選ばれたのが、人の少ない早春の深山だったということのよう。

叔母の一家は全員学校の先生で、叔父は教頭を務めていました。

昔からこの家に伺うと必ず応接セットに座って、近況報告も世間話も全部訓示になるので、筆者は正直居心地が良くありませんでした。

一人娘の従妹も子供の頃から品行方正で、年下なのに筆者とは大違いのため、本音でしゃべるのが恥ずかしく、そんなには親しくできていなかったのです。

叔父も叔母も崇高な目的に向かい立派な仕事をしたのは確かですが、筋を通すことにも厳しくて。

そのため親しく付き合うというよりは、長年あたりさわりのないように接してきたのが正直な所。

筆者は昔叔母の知人の息子さんと縁談が持ち上がったのですが、その時に叔母が言ったのが「この子の母は養女で、この子は本当の姪ではありませんが、父(筆者の祖父)は姉もこの子も私たちと分け隔てなくかわいがってきました」。

全く悪気なく言っているんですよ(多分)。

筆者はこの時に母や筆者の立ち位置を認識しました。

筆者が30代で母を引き取った後、こまごまと助けてくれたのは叔父叔母ではなく従妹でした。

筆者が叔母と仲良くしている風なので黙っていたようですが、一言「圧が強くて」ともらしたところ、彼女も邪険にしていると打ち明けたのです。

以後はタガが外れたかのように、鋭い批判を聞くことになりました。

叔母は自分の娘にこっぴどく否定される代わりに筆者に、自分は教養があることや今まで多くの人に尊敬されてきたことなどをアピールして、認めてもらいたかったのだなと思いました。

筆者が「すごいね」とか何か取り持つようなことを言っていれば良かったのでしょうけれど。

つまり筆者は話のだしに連れて行かれたのかぁ。

そんな方法よりも、素直に助けてと言えばいいのにね。

でもプライドが高いと、日頃下に見ている筆者のような者に、そんなこと言えませんよね。

漠然としていたことがここに来てはっきりわかってしまったので、筆者的には結構ショックでした。

筆者は元介護職で、現在も、現場ではありませんが、業界には関わっています。

通常仕事として叔母のような人と接する時には、利用者さん本位で「すごいですね」「〇〇さん、教養があるんですね~」なんて本人の望むように気持ちを汲んでやり過ごします。

他人だから、割り切ってできるということもあります。

だから利用者とその家族がうまくかみ合わない時は、第三者の介護士を入れると良いとも言いますよね。

ただ筆者たちの場合は身内同士なので、筆者自身のアイデンティティも守らないと、悲しすぎる。

叔母に自己肯定感があるように、筆者にもあるし、ここで介護職に徹する必要はないと考えます。

でも叔母の立場になれば、ことあるごとに邪険にされるのも悲しすぎる。

ただ否定されるだけではどうすれば良いかわからないでしょうし。

よくよく考えたら、筆者はこれまでずっと受け身で、叔母の言うとおりにしてきただけだったという事にも気がつきました。

言葉には気を付けないといけませんが、今後は本音で話してみても良いかもしれません。

嫌なことは嫌なんだと、穏やかに伝えられれば良いかと思います。

(筆者の経験では、認知症の方にも、ある程度これで通じるんですよね。)

今後は呼び出しを待つのではなく、ちょっとした時間に立ち寄ってみたりして、気にしているよという安心感が与えられるようにできれば良いかな。

過信はいけませんが、そんなことも考えています。

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