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認知症の「困った行動」に、想像力を駆使してみたら

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認知症の方は、ひどいもの忘れがあったり、できるはずのことができなかったりということが、当たり前にあります。

さっき食べたばかりなのに、「まだご飯食べてない」と、何度も言うのはなぜなんでしょうか。

「記憶障害」だから、では答えにはなっても、解決にはなりません。

気持ちを汲み取るには、想像力がとても大切になってきます。

ここでは、施設で経験した困りごとについて想像したことを、少し紹介します。

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「まだご飯食べてない」は何を訴えているのか

施設の介護職員は「まだ食べていない」という訴えをたびたび経験します。

「ごめんなさいね。支度が遅れたので。なるべく早く用意しますから。」

「大丈夫、ちょっと手の込んだものを作っているから、時間がかかっているんですよ。」等、いろいろ言い方を変えて対応するのですが…。

模範的な対応の仕方としては、「否定しない。その都度初めて聞いたように対応する」ことなのですが、同じ人が1日に何度もでは、ネタも尽きます。

まあ、1~10までネタ出ししたら、また1に戻っても良いんですけれども…。

これらの返事で紛れることもありますが、意外にも忘れずにずっと待っていることもあります。

「ご飯、どうなったの?」(あちゃ)

そもそもちゃんと食べているのは明らかなので、そんなにすぐにお腹は空かないはず。

では何が足りないのか。

「愛」か。

「○○さんが好き」と言って欲しいのかもしれない。

何か他にして欲しいことがあるのかもしれない。

聞いて欲しいことがあるのかもしれない。

ちゃんと気にしてもらっていると感じたいのかもしれない。

不安なために、大丈夫と言って欲しいのかもしれない。

あるいは糖尿病の症状の一つなのかも。

こうしていろいろ想像力を働かせて、それに沿った言い方や接し方を試してみます。

何が正解なのかは正直わかりません。

そうこう試してみて、いろいろ話をしたり聞いたりしていると、気がまぎれるのか、満足するのか、一時的に過ぎないにしても、治まることがあります。

そして、また明日。

そうやって徐々にでも、訴えが減ってくれば、いろいろな意味で有難いですね。

いろいろやってもダメなら、「何か探してきます。」と言って逃げることもアリと考えます。

職員のメンタルのために。

施設なら別の職員が対応できることもあり、人が代わることで別の良い対応ができる可能性もあります。

ただ職員同士の信頼がないと、この方法は成立しません。

もの盗られ妄想はループすることがある

自分が物を置いた場所を忘れる→「盗まれた!」→職員総出で探し、見つかる→「盗られないように」場所を変える→置いた場所を忘れる→「ない!」→「おかしい、盗まれた!」→ ……

本人にとって「置いた場所にない=盗まれた」のは「事実」です。

「盗る訳ないでしょう」は絶対禁句。

「そうですか、おかしいですね。一緒に探しましょう。」

一緒に探しているうちに出てくればベストですね。

そばにいない時に見つけた時は、「もう一度探しましょう。」と言って本人の目の前で「見つける」等の工夫をしても。

頻繁に生活のお世話をしているうちに、「見知らぬ人」ではなくなり、落ち着いてくるものと思われます。

ただし経験では、本当に盗られている—というより、他の入居者さんが自分のものと思い込んで持って行っていたこともありました。

見つかるのは自室とは限りません。

「否定しない」について

「相手の言うことを否定しない」のは介護の鉄則なんですが、場合によっては否定した方が良い時もあるのだと思います。

ただし、上手に否定しなければいけないのです。

それは、私がまだ新人の頃でした。

幻覚症状のあるAさんが「居室に蛇がいる」と言うのです。

タンスの取っ手がそう見えるのでした。

どう答えようか困った、経験の浅かった私。

「鉄則」に従い「追い出したから大丈夫ですよ。」と言ってしまいました。

その結果、「本当に居る(居た)んだ!」と余計に怖がらせてしまったのです。

Aさんは完全に信じ込んでいたわけではなく、自分の幻視が半信半疑で、確かめようとしていたのですね。

ご本人の状態がどの段階にあるかを理解する必要がありました。失敗、失敗。

もう一つ。

これは比較的近年のことです。

新規オープンした有料老人ホームに入職し、入居者さんもまだしっかりしている方が多く入られました。

その中に、元は立派な地位のある職業に就いていたBさんがみえました。

私はBさんと、とても良好な関係でした。

礼儀正しく、身の回りのことも自分でできていたのですが、1年を過ぎるころから時々幻覚症状が現れ始めたのです。

ある日の昼食時、嚥下困難な方の食事介助をしていた時です。Bさんの目の前でした。

突然Bさんがこちらを見て「何をするんだ、やめろ!」と怒鳴り立ち上がりました。

私もびっくりしましたが、食堂にいた全員が何事かとこちらを見ました。

「どうしてそんなひどいことをするんだ。あっちへ行け!」と私を追い払い、Bさんが代わってその方の食事介助をし始めました(!)

別の職員が制止し、どうしたのか伺うも「ひどいことをした」とののしるばかり。

その日は対処のしようもなく過ぎました。

すると次の日の夕食時に、入居者さん全員と他の職員・上司までいる所で私を名指しで呼び「こっちへ来い」と。

私が「毒を飲ませて虐待していた」のをとがめ、どういうつもりなのか述べよというのです。

絶句しましたが、このシチュエーションで対応を間違えてはならないと思い、

「誤解を与えたのなら謝ります。ごめんなさい。でも、職員は決してそんな虐待なんかしないということを信じていただきたい。」と強く言いました。

どうやら治まり、許していただけたようでした。

こうなった原因を自分なりに分析すると、その数日前のことに思い当たりました。

まだ良好な関係の真っ最中です。

居室に呼ばれて伺うと「良くしてくれるお礼だ。皆には内緒で」と、明らかに商品券とわかる包みを渡してくれようとしたのです。

規則でいただけない、お気持ちだけで、と何とか固辞して退室したことを思い出しました。

この時私はBさんに恥をかかせてしまったのではないでしょうか。

Bさんはきっと「自分は立派な人間なのだ」という気持ちを保ちたかった、自己防衛のために私を攻撃したのではないか—。

きっとこの数日間ずっと傷ついていたのでしょう。

一旦有難く受け取って、上司からご家族に返してもらった方が良かったのか…。

でも、事はお金に関することだし、受け取ってしまっては、といろいろ考えてみました。

やはり受け取る訳にはいきませんでした。

他の職員にもそうしかねないし、それが常態になっては後々大きな問題になるでしょう。

真偽の程はわかりませんが、他に思い当たるフシもないのです。

今思えば「拒否また拒否」のような辞退の仕方ではなく、例えば

「そんなに喜んでいただいて嬉しいです。お金よりもお願いがあるんです。Bさんが健康でいて下さる方がもっと嬉しいです。」のような言い方の方が、納得してもらえたのかもしれません。

上司にはありのままを報告し、その後Bさんとも良い関係に戻りました。

気持ちの行方は我々と変わりない

認知症の方への対応に方程式はないとも言います。

認知症の方にも感情はあるし、想像力もあるからです。

それだからこそ、介護する私たちも想像力を駆使しなくては、と思うばかりです。

認知症でない私たちも、人間関係にはいろいろ想像力を働かせる必要がありますね。

そう思えばみんな一緒。

私達がして欲しいことは認知症の方もして欲しいこと、私たちが傷つくことは認知症の方も傷つくのは当然だと思います。

人間対人間。

たまに失敗はあっても、修復は可能と思って、日々精進するのみです。

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