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【伊勢】猿田彦神社と猿田彦大神についてのフカボリ

猿田彦神社扁額
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伊勢神宮内宮近くにある猿田彦神社は、その名の通り、日本神話の猿田彦大神を祀っています。

神社があるのは、外宮から通じる御幸道路と御木本道路が交わる、宇治浦田町交差点付近。

南に800m直進すれば内宮という、とても良い場所です。

この近さにも理由があって、どうやらそれが日本書紀や古書の中に書いてあるみたいなんですよ。

筆者も新たな門出の折々に何度か参拝させていただいた、格調の高い神社ですが、最近は境内の見所MAPなども作られて、親しみやすくなってきました。

新しく何かを始める時、物事の最初に出現されて、万事良い方向に導いてくださる神様です。

内宮参拝の折には、ぜひこちらも訪れたいですね。

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猿田彦大神は、「みちひらきの大神」と呼ばれています。

日本神話の天孫降臨の際に天降りした瓊瓊杵尊ににぎのみこと天八衢あめのやちまたで出迎え、高千穂の峰に先導したことから、こう呼ばれます。

結婚・出産、就職、事業発展、交通安全、病気平癒、方災解除など、あらゆることにご利益があるんですよ。

ここで結婚式を挙げればさぞや未来は明るいのでは。

車のお祓いも人気ですよね。

方災というのは行き先が凶の方角だとか、いわゆる方角が悪くて起こる災難のことです。

方災解除はそれを取り除くこと。

陰陽道や九星術から来たもので(節分に今年の恵方は…というアレです)、八方ふさがりの年にもお参りすると良いのだとか。

また猿田彦大神は、瓊瓊杵尊の道案内を終えた後ご自分の本拠地に戻り、広く国土を開拓・経営に尽くされた地主神といわれています。そのため土地に関すること、建築土木、工事の安全なども司ります。

猿田彦大神は天照大御神あまてらすおおみかみ天手力雄命あめのたぢからおのみことのような天つ神ではなく、大国主命おおくにぬしのみこと大物主命おおものぬしのみことと同じ、国つ神なんですね。

八角形は方位を表わしており、いたる所に取り入れられています。

まず鳥居の柱が八角形。

境内の真ん中にある方位石はもちろん、手水舎の柱や本殿の欄干・鰹木、佐留女神社の本殿なども八角形です。

猿田彦 七五三

伺ったのが11月10日なので、境内も社殿も七五三のしつらえ。

晴れやかな雰囲気がいいですね。

建物は二重破風の妻入り造り、通称さだひこ造りと言うそうです。

飾られた菊が、猿田彦大神の顔になっています。

猿田彦さんは珍しく顔立ちが詳しく描写されている神様なんですよ。

日本書紀には「鼻の長さは7あたそびらの長さは7さか余、まさに7ひろ口の端が明るく光り、目が八咫鏡やたのかがみのように、また赤酸漿あかかがちほうずき)のように照り輝いている」とあります。

原文「其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也。」

咫は手のひらを広げて親指の先から中指の先までの寸法のことで、1咫が約18㎝とされるため、鼻の長さは126㎝。

尺は近代の「しゃく」ではなく古代の「さか」ですが、藤原京や平城京で出土したものさしの1尺が約30㎝なので、これを当てはめると「背の長さ」は約210㎝。

代表的な現代語訳書(講談社学術文庫 宇治谷孟訳)でも「背の高さ」と訳されていますが、これでいくと、身長2.1m余のうち鼻1.26mという、なかなかすごいことになるんですね。

実は「背の長さ」というのは、現代の我々が思い浮かべる身長のことではなく、「背中の長さ」=座高のことではないかという説もあるんです。

というのも、「背長七咫余」の次に「当言七尋」という長さの表記があるからです。

いくつかの現代語訳書ではこの七尋について曖昧にされているのですが、まあどう訳しても断定はできないかもしれません。

実際の寸法ではなく、「それほど大きい」という意味かもしれませんが、筆者はこれが身長と考えるのもアリかと思っています。

1尋を約180㎝として、7尋ともなれば12.6mにもなるんですが。

つまり鼻の長さ約1.2m、座高約2.1m、身長約12.6m。

これまたなんというプロポーション!ですよね。

こう言うのにも、筆者なりの訳があって。

ずいぶん前になりますが同じ三重県内、志摩市の天岩戸や、鈴鹿市の椿大神社で感じた神様が、とてつもなく大きく感じられた体験があるからです。

それまで神様の身長などほとんど気にしていませんでしたが、その時の感想は「神様って普通の人間の大きさじゃないんだ!」でした。

天岩戸や椿大神社は、どちらも背後に自然の山が控えていました。筆者が感じた神様は、いわば自然のパワーなのかもしれません。

日本の神道は元々自然信仰から来ていますもんね。

手前味噌ですが、日本書紀の記述もこういうことを表わしているのではないかと思った次第です。

身長12mならさぞや遠くまで見渡せて、道案内もしやすいでしょうし、国土に何が起きているかいち早く把握もできることでしょう、なんてね。

ちなみに猿田彦大神、天狗と似ていますが、天狗は妖怪(カラス天狗もいますし)、猿田彦さんは神様です。どうかお間違いなく。

天岩戸については【恵利原の水穴】三重県志摩市の天の岩戸は生命力の源である水の神 を読んで下さい

椿大神社については【椿大神社】良い気が満ちています|霊験あらたか「みちびきの神」 をどうぞ

方位石

拝殿の正面の境内にある、柵に囲まれた八角形の石が方位石です。

方位石の上には「古殿地」の文字と方位の干支十干が彫られています。

古殿地と言えば内宮・外宮の古殿地思い浮かべますが、神宮とは異なり式年遷宮はされません。

こちらは昭和11年(1936年)に建て替えと同時に移された旧神殿の跡です。

方位石は願うご利益の得られる方位を触ると良いとも言われ、人気のスポットになっています。

よく話題になるのですが、ではどこをどう触ると良いのでしょうか。

ちなみに神社の方に伺っても、関知しませんということでした。

風水なら金運は西・愛情運は東南などで年ごとには変わりませんが、九星や陰陽道では、吉凶の方位が毎年回座するのです。

まあ、その年の恵方を触るとか。

ただ陰陽道では土公神(どくしん・どこうしん)という土の守護神がおられ、この土公神は猿田彦大神と同一とされているんですよね。土公神は方位の吉凶は言いません。

その説だと方位石を触る必要はない、ということになって…身もフタもなくなってしまうんですが。

なので、筆者は願い事は拝殿で、ご祭神の猿田彦大神に念入りにお願いしております。

経験ではこれが一番。

あ、筆者の個人的見解なのでお気になさらず、お好きな説を採ってください。

猿女神社

佐留女神社は天鈿女命あめのうずめのみこと猿女君さるめのきみを祀っています。

天照大神あまてらすおおみかみ天岩窟あまのいわやに籠られた時に岩戸の前で神楽を舞った神様です。

神楽を舞ったことから俳優・芸能・技術の神とされています。

天八衢あめのやちまたで猿田彦大神が瓊瓊杵尊ににぎのみことを待っていた時には、お供の神々がみな眼光鋭い猿田彦大神に恐れをなして、声もかけられなかったのに、天鈿女命はその眼力を買われて最初に対面しました。

その後、瓊瓊杵尊により猿女君の名を授けられて改名したのです。

芸能の神なので、さぞや観察眼も優れていたのはないでしょうか。

一説に猿田彦大神と夫婦になったと言われています。名前も寄せていますしね。

夫が眼光鋭く道を啓き、妻も負けず劣らず眼力があるとは、なんとお似合いの夫婦でしょうか。

もちろん縁結びの神として、男女の縁に限らず、人や物、仕事などの良縁を司ります。

天つ神と国つ神の間も取り持ちましたしね。

自らも天つ神であり、鎮魂たましずめ振魂ふりたまの神でもあります。

現在も行われている宮中祭祀の鎮魂・振魂の儀は、岩戸隠れの際の天鈿女命の神楽に由来するそうですよ。

鎮魂・振魂の元々の意味は「生者の魂を体に鎮座させ、魂の活力を高める」こと。

佐留女神社の本殿が赤いのは、活力の赤、なんでしょうか。

8月17日・18日が例祭で、17日の宵祭りでは約2,000個の提灯にあかりが灯され、特設舞台では舞踊などの演芸が催されて賑わうそうです。

こちらも一度、見てみたいですね。

日本書紀には、猿田彦大神は天孫を送り届けた後、自分は「伊勢の五十鈴川の川上に到着した」とあります。

「倭姫命世記」によると、子孫の大田命が、天照大神の御鎮座の地を求めていた倭姫命に、代々の本拠地である土地を献上したことで、神宮の創建が成ったとのことです。

それで猿田彦神社にほど近い位置に、内宮があるんですね。

猿田彦神社には、相殿として大田命も祀られています。

大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)を名乗り、神宮に玉串大内人たまぐしおおうちんどという重要な役職で代々奉職し、自邸内に屋敷神として祖神の猿田彦大神を祀っておられたとのこと。

今は「うじとこ」さんとお読みする苗字になっています。

宇治は伊勢国宇治郷に由来し、土公は先に書いた猿田彦大神の別名、土公神のことですよね。

明治4年(1871年)の神官制度改正で内人職が廃止されることになり、屋敷神を改めて神社とされました。

つまり今のような神社としての創建は、明治ということになってしまうんですね。

悩ましいことに、昭和10年(1935年)内務省神社局(今は廃止)の調査で猿田彦神社の総本社になれなかった理由は、このあたりの事情なのでしょう。

猿田彦大神を祀る神社の総本社は、鈴鹿市の椿大神社ということになっています。

椿大神社はいにしえの磐座信仰が始まりで、創建年はともかく、神社としてはかなり古くから存在していたようなので。

猿田彦神社は成り立ちからもいわば純粋なアマテラス神話の神社で、当然ながら神仏の習合は見られません

椿大神社では修験道とのつながりも強調しておられますし、そのあたりは大きな相違点とも言えるでしょう。

赤門

この赤門は、宮司さんである宇治土公うじとこ家のかつての正門だそうです。

昭和46年に現在の場所である、お札授与所・ご祈祷受付所の横に移されました。

江戸時代初期に作られたものだそうですが、近年修理されました。

さて、神社には縁起物が付き物。

左は宝船のような舟形の石に、富を象徴する白蛇がのっているという、たから石。

右は、小さな石が年月を経て成長し岩になるほどの、非常に長い間栄えるという意味のさざれ石です。

たから石は古殿地から見て東側、さざれ石は佐留女神社のかたわらにあります。

さざれ石のすぐ横には近ごろ奉納された、「おがたまの木」があります。

写真では判別しにくいですが、札が立っているのですぐわかります。

招霊木と書き、天鈿女命が岩戸の前で神楽を舞った時に、この木の小枝を手にしていたとされます。

神楽鈴のもとになった木で、邪なるものを祓い神様を呼んで、心をひきつけると言われています。

おがたまの木

この木はまだ細く小さいですが、いずれは大きなシンボルツリーになることでしょう。

実はこの成木が境内にすでにあるのです。それも大木が。

佐留女神社から回れ右をして、御神田に続く道を行くと、「頭上注意」の札が立っています。

この写真の右側の木が大木になっており、たまたま伺った時期が、実の付く時期だったのですね。

それがどうやらポキポキと折れて、何メートルか上から落下してくるのです。

下の写真の左側、石灯籠の付近や、砂利道の中央にも落ちているんですよ。

猿田彦 御神田への道

こんな実です。ホントに鈴なり。

秋に伺うとこういう珍しいものも見られるんですね。

おがたま小枝

御神田への道を回り込むと、こんなのも見られます。

なんと本殿の裏側。こちらの方がご神体に近いのでは。

猿田彦神社本殿

こちらが御神田。まだ刈り入れ前でした。

刈り取られた米はお供物として供えられ、神事が行われるそうです。

毎年5月5日には、御神田祭といって桃山時代の衣装で田楽にあわせて田植えが行なわれ、豊作を祈って団扇相撲神事が行われるとのこと。三重県無形文化財に指定されています。

御神田

人生の新たな門出や、様々な節目に訪れると良いのが猿田彦神社。

伊勢市宇治浦田にある猿田彦神社は、神宮に代々奉職された宇治土公氏が、祖先神として祀っておられたのが始まりです。

猿田彦大神は日本書紀の記述の解釈により、私見では身長約12mの巨神と思われますが、さてどうでしょう。

もしや天鈿女命改め猿女君も10m越えだったのでしょうか。

いろいろ想像してみると世界観が変わって面白いかもしれません。

彼女も眼力が強く、一種異様であった猿田彦大神を怖れることなく、対等に渡り合ったお似合いのカップルです。

猿田彦神社は格調高い神社ですが、最近は親しみやすい見どころMAPもできました。

参拝と共に、MAPを見たり神話をなぞったり、新たな想像の余地もあったりして、神社巡りの楽しみは尽きません。

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