三重県の関宿に行ってきました。
江戸時代には参勤交代やお伊勢参りの人々でにぎわったという、東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿場町です。
旧東海道の宿場町のほとんどが昔の姿ではなくなっているそうですが、ここでは町全体が江戸時代そのものといって良い程、見事に残っていて感動します。
住民の方々が今もそれぞれに住んでおられ、手入れの行き届いた落ち着いた町屋が並んでいるのが、とてもすてきです。
昭和59年(1984年)国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
珍しい建物や意匠があちこちに見られて、面白かったですよ。
名前の由来になった鈴鹿関は壬申の乱の旧蹟でした
関宿の名はここに関所があったからついたのですが、この関所、実は江戸時代にできた関所ではないんです。
なんと飛鳥時代!
この地は大昔から交通の要衝で、古代三関(こだいさんかん)の一つである鈴鹿関があったのです。
三関とは畿内防衛のために置かれた三大関所で、東海道・東山道・北陸道の、それぞれ鈴鹿関・不破関・愛発関のことを言います。
壬申の乱(672年)に際して、大海人皇子(後の天武天皇)が鈴鹿関・不破関を固めたことで歴史に初めて登場します。
壬申の乱の時、大海人皇子は自分のいる吉野から大友皇子のいる近江朝廷まで、最短距離を北上して戦ったのではないんですねー。
吉野から脱出して、伊勢国・美濃国で味方を増やしながら、鈴鹿関を2度通っているんです。
言い伝えによると、長雨と闇夜に難儀をした際に鈴をつけた鹿が現れ、大海人皇子はその背に乗って無事に山を超えることができたという所以で「鈴鹿」になったとか。
今回最初に立ち寄った地蔵院に、立派な鹿の像がありました。
鈴鹿関の正確な位置や規模はわかっていませんが、ひ孫の聖武天皇によって整備された西限の城壁が、西の追分のすぐ近くの観音山ふもとで確認されています。
関宿の歩き方と駐車場事情
ナビに「関宿」と入れると、観光駐車場がゴールとして示されました。
名古屋方面から東名阪自動車道亀山ICから国道1号線の京都方面に入ります。
1号線沿いの「道の駅 関宿」の西にある「地蔵院口」を斜め右に入り、道なりに走っていくと左側にお寺が見え、これが地蔵院です。
標識に従い北上した先に、無料の観光駐車場がありました。関宿の中間点よりやや西になります。
すぐ横には足湯施設の「小萬の湯」があります。
観光バスが数台と普通車10数台ほど停められ、係の方もいらっしゃいました。
観光駐車場から戻るように少し南下し、最初に見えた地蔵院のあるメインストリートに出てから、東西に歩く形になります。
関宿の両端、東西双方の追分にも駐車場があるので、そこからもう一方に向かって歩いても良いかもしれません。
東の追分は東海道と伊勢別街道の分岐点、西の追分は東海道と大和街道の分岐点になります。
西の追分の駐車場は休憩施設もあって結構大きいです。
東の追分の駐車場は、1号線「地蔵院口」より東の「東海道関宿東」交差点で北上すると大鳥居に出るので、鳥居をくぐってすぐ右に回り込んで下さい。
鳥居と消防団倉庫の間から裏手に回った、4~5台分程度の空き地といった感じなので、表示がなかったら停めて良いか躊躇するかもしれませんね。
この鳥居は伊勢神宮を遥拝するもので、式年遷宮の際に宇治橋南詰の鳥居が移されてくるそうです。
今上って来た道が伊勢別街道で、津市を経由して伊勢神宮の外宮・内宮に通じているのです。
関宿の町並みは、大鳥居と平行して、この写真の左側に伸びています。
関宿の範囲は、東西追分の間の約1.8km、江戸時代から明治時代に建てられた町屋が200軒ほどあります。
町なかはほとんど平坦なので、シニアの筆者が端から端まで歩いてもそれほど疲れませんでした。
電車で来た場合は、道の駅に隣接したJR「関駅」で降り、駅前の道を北に進むと、「中町の町並み」の中に入れます。
地蔵院
お地蔵さんのイメージから、そんなに大きくなさそうと想像していたのですが、思ったより大きな寺院でした。
ご本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩だそうですよ。
境内の本堂・愛染堂・鐘楼が国指定の重要文化財になっています。
創建については不詳ですが「地蔵院略縁起」では、天平13年(741年)行基によって創建されたとなっています。
行基は貧しい人々に目を向けた法相宗の僧で、民衆からは行基菩薩とも呼ばれました。
奈良東大寺の大仏や、法隆寺の西円堂の建立にも貢献した方です。
地理的にも奈良はここから近いんですね。
「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」という俗謡があるそうです。
地蔵院は東海道を旅する人々の信仰を集め、現在も多くの参拝客で賑わうとのことです。
新所の漆喰や瓦の彫刻がおもしろい
西側の新所地区は、落ち着いた住宅地という感じです。
歴史を感じさせてくれる建物ばかりですが、関宿は現在も生活していらっしゃる町なので。
この町の見どころの一つは、2階部分の漆喰彫刻や細工瓦です。
子孫繁栄や家運長久などを願って、職人さんが技を凝らしたものがたくさん残っています。
ありがたくも楽しいですね。
ほかにも龍や虎、鯉の滝登りなど、漆喰彫刻や細工瓦は中町にもあるので、探してみて下さい。
地蔵院前から中心地の中町へ
さて地蔵院前に戻りました。
ここからの町並みに、代表的な歴史的建物が多くあります。
やはり高札場があり本陣・脇本陣、大旅籠が軒を連ねていた中町が中心地といえるでしょう。
このあたりからはお店屋さんも多いです。
昔風の辻行灯や格子窓、屋根付きの看板など、風情がありますね。
真ん中の建物の會津屋(会津屋)とあるのは、かつては鶴屋・玉屋と並ぶ、関宿有数の大旅籠でした。
現在は「名物山菜おこわ」や「街道そば」等がいただける、お食事処になっています。
この日はまだ早過ぎて開いていませんでした。
こちらは曜日によって開店時間が違うようなんです。この日の開店は11:00からでした。
この並びにお米屋さんとアンティーク屋さんがあります。おしゃれでしょ。
米をつく水車の音から名前がつけられたので「川音」さん。
アンティーク屋さんは「江戸屋」さん。
中町の「川北本陣跡」の前にある「明治屋」さんの姉妹店のようです。
もう少し東へ進むと「志ら玉」の看板のある「白玉屋」さん。
江戸時代から愛されてきたという、こしあんの「しら玉」とつぶあんの「いばら餅」は、お手頃な値段が嬉しい上に食べやすくてとてもおいしかったです。
なぜいばらというのか調べたら、サルトリイバラの葉っぱでお餅を包んでいるからでした。
サルトリイバラは主に山に生える植物で、鋭いトゲがあります。
筆者はいばら餅の方が好み。柏餅のような感じでしっとり柔らかでした。
関を代表する和菓子屋さんはもう一軒、「深川屋 陸奥大掾」さんがあります。
瓦屋根付きの立派な庵看板に書かれているのは、屋号ではなく「関の戸」という銘菓の名。
京都側から見ると「関能戸」、江戸側から見ると「関(草書)の戸」と書体が変わっており、方角を間違えないよう確認する目印にもなっていたそうです。
昔の人の知恵ですね。さぞや助かったことでしょう。(先に書いた会津屋さんも同じく、方角によって袖壁の文字が異なっています)
深川屋さんは、なんと伊賀忍者の末裔だそうですよ。
徳川家光の寛永年間に初代の服部保重さんが創業したもので、各藩や朝廷に潜入するため和菓子屋さんになったのだとか‼
江戸時代末期に光格上皇から御所御用達菓子司に任命され、陸奥国司の位である陸奥大掾を賜ったのだそうです。
すごいですね。
筆者の購入したのは通常のものと季節限定ものがセットになっている「関の戸」で、13㎝四方の黄色の箱に6個入りです。
こし餡を薄いぎゅうひで包み固めて、和三盆をまぶした1口サイズのお菓子でした。
甘みがギュッと凝縮されているため、この大きさで十分です。
砂糖が貴重だった江戸時代に、御所や諸大名家に愛された理由がわかる気がしますね。
店内には御所にお届けする時に使用した、何層かの螺鈿の菓子箱とその外箱、菓子型、藍染めの短羽織に裁着袴(伊賀袴)といった着物などが展示されており、ミニ博物館のよう。
江戸情緒が満喫できます。
下の写真は「桶重」さんで、建物の軒瓦の飾りに、まさに「器」の文字がずらりと並んでいるのが面白いです。
ちょうど作業中で、撮影の許可をいただきました。
「ナガオ薬局」さんの看板は右から書いてあり、電話番号の局番は45番!
たった2桁ですよ。なにしろ早い時期に電話を引かれたとお見受けします。
いくつかの時代を超えてきたのを感じますね。
宿場の根幹、本陣の規模を体感してみよう
さて、「宿場」ですから、「宿」についてお話ししましょう。
本陣は参勤交代の大名や公家・門跡・公用の幕臣たちが利用した、格式の高い宿泊施設のことです。
そう聞くと現代の私たちは、幕府がわざわざそのための宿を建てたのかと思いがちですが、そうではありません。
宿泊を予定する土地の村役人などを本陣役とし、その邸宅を貸し切り予約で借り受けて、謝礼を支払っていたものが、その後制度化されていったようです。
一般の旅籠屋には許されない表門や式台(来客に挨拶や取次ぎをするための広い板敷)付きの玄関などが設置されました。
江戸時代前期には3つの本陣(伊藤・川北・滝)があり、その後2つの本陣(伊藤・川北)と3つの脇本陣になったそうです。
平均的な本陣の規模は約200坪程度で、伊藤本陣の間口11間1尺8寸(約20m)、総建坪269坪(約880㎡)は、まずは標準サイズ。
川北本陣の方はさらに大きく、間口19間半(約35m)、奥行き50間半(約91m)、総建坪395坪(約1,300㎡)と広大なものでした。
川北本陣には徳川慶喜や明治天皇も宿泊されたとの記録が残っています。
伊藤本陣の建物は一部が残りましたが、滝本陣・川北本陣・その他の脇本陣の建物は残りませんでした。
ただ、川北本陣の門は近くの延命寺の山門に、萩屋脇本陣の門は福蔵寺裏門として移築されています。
上の写真は伊藤本陣跡の建物です。
街道に面しているこの建物は伊藤家の家族の居住部分で、大名宿泊の際にはお道具置き場になったとのこと。
それはそうですよね、お殿様はもっと奥の部屋にお泊りになったはず。
伊藤本陣の表門は唐破風造りの檜皮葺き(弓型の曲線を描く神社仏閣によくある日本建築様式)だったそうで、堂々とした構えだったことが伺えます。
石標の向こうの、屋根の高い建物の所にその表門があったようです。
試しに伊藤本陣跡の建物に、上の旧川北本陣の門を組み合わせて思い浮かべてみて下さい。なかなか立派だと思いませんか。
しかも川北本陣にいたっては間口が伊藤本陣の1.5倍ですからね。
こんな感じの本陣が3つ、または2つと脇本陣が3つほど、関宿にはあったということですね。
関宿、すごいなー。
中町には高札場跡もあり、現在は郵便局になっています。
大衆向けの大旅籠は会津屋・玉屋か鶴屋など
一般の人々のための大旅籠は、先に書いた会津屋と、下の玉屋・鶴屋がありました。
玉屋は江戸時代に建築された建物に、当時使われていた道具類や歴史資料を展示した、歴史資料館となっています。
開け放した1階では当時の旅籠の店先がそのまま見られます。
また、2階の壁にある屋号にちなんだ宝珠(火焔のあがる玉)をかたどった、虫籠窓という漆喰で塗り込めた格子窓が特徴的です。
近くにある「関まちなみ資料館」との共通券、大人300円(小人200円)で、2階の座敷や歌川(安藤)広重の浮世絵展示室となっている土蔵、坪庭や離れの座敷などが見られます。
鶴屋は江戸時代の終わり頃には脇本陣もつとめ、その格式を示す千鳥破風がついています。
よくお城などに見られる破風ですよね。
現代のユニークな旅籠も
こちらは古民家ゲストハウス「旅人宿 石垣屋」さんです。
寝袋持ち込みのドミトリー(1部屋5人位)ならなんと2,500円という、破格の料金!
縁側で宴会を開いたりするので、静かに休みたい人には不向きと謳っておられます。
でも、楽しそうですね。
眺関亭から関宿を見渡す
伊藤本陣跡を過ぎ、川北本陣跡に至る前の右側に「百六里庭」と「眺関亭」があります。
江戸から106里あるから「百六里庭」と名がついた小さな公園で、入り口は一見片側が長屋門のような見た目になっていますが部屋はなく、階段がついています。
これが関を眺める「眺関亭」で、関宿の町並みが見渡せますよ。
近くには「関まちなみ資料館」や「関の山車会館」があり、町並みの歴史や夏祭りに曳き出される山車の実物が、祭り仕様に再現されています。
関の山車会館の入館料は300円ですが、先の「玉屋歴史資料館」と「関まちなみ資料館」、「関の山車会館」の3館共通入館料が500円なので、全部見たい方はこちらがお得。
関宿では7月下旬に祇園夏祭りが開催されます。
江戸時代には京都祇園祭や住吉天神祭と並んで関西五大祭の一つだったそうです。
最盛期には山車が16基あったとのこと。
「これ以上はない、精いっぱいである」という意味の「関の山」の語源となったのが、ここ関宿の山車。
現在は4基が残っており、関宿内4か所に山車倉があります。
関宿祇園夏祭りでは夕方から巡行が始まり、近くの関神社などで山車の上部分が向きを変える、舞台回しが披露されます。
お食事処や喫茶店は営業日や営業時間に注意
ランチのできる飲食店や、歩き疲れた時の喫茶店も何軒かあります。
こちらは英国紅茶のお店「アールグレイ」さん。
スコーンやシフォンケーキもいただけるそうです。
営業時間が平日は午後のみ、土日は10時から開店とのこと。
閉店時間が季節によって変わります。
こちらはお食事処「山石」さん。
メニューの黒板にわらじかつ重が1,050円(税込)とあります。お値打ち!
定休日は火・水曜日。営業時間は11時開店、14時から17時一旦休みで21時までです。
ほかにも「飲食店モーティヴ」さんや「食工房セルクル」さん「古民家カフェ・エン」さん「古民家かふぇ・きーぷ」さん等々ありますが、いずれも営業日や営業時間に注意です。
定休日は
セルクル 定休日 水・木・金曜日
エン 定休日 水曜日
きーぷ 定休日 火・水・木・金曜日
などとなっています。
営業時間については、観光客が昼食を摂りお茶をするのにマストな時間帯は確保されている感じですね。
筆者は木曜日の朝10時に着いてしまったので、まだ開いていない所が多かったのです。
初めての時はどうしても先にメインストリートを歩いてしまいますが、早く着き過ぎた時はちょっと外れたお寺や神社を先に見てから、お店がある道を歩くと良いかもしれませんね。
まとめ
関宿は古代からの古い歴史のある町で、大和から伊勢への主要ルート上にありました。
江戸時代には参勤交代やお伊勢参りで賑わった宿場町です。
現在は江戸時代の建物や意匠がそのまま残る、落ち着いた観光地となっています。
町がまるごと江戸時代なのは必見です。
伊勢や京都・奈良に近いこともあり、それぞれの文化が交錯している感じですね。
例えば同じ江戸時代の町並みでも、山深い飛騨の高山とは全く雰囲気が異なります。
宿場町の根幹である本陣・脇本陣・大旅籠など、じっくり見てみるのも、心に残っておすすめ。
そうそう、飲食店の営業日と営業時間にはご注意を。
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