三重県志摩市の横山石神神社に行ってきました。
内宮の後など旅程の都合で伺うのが午後になったりすると、時刻によってはもう閉まっていたり、かなりユニークな神社なのです。
ユニークさにも驚きましたが、筆者が最も驚いたのはこれまで聞いていたご祭神の正体(失礼)がわかったことと、以前に調べた遠く離れた別の神社のご祭神が、思いがけなくつながったことでした。
歴史も古く、昔から霊験あらたかで志摩一円の崇敬を集めてきた神社です。
相差の石神さんは女性の願いを必ず一つ叶えて下さるというので有名ですが、横山石神神社は男女の別なく、必ず一つ叶えて下さるのだそうですよ。
今一つメジャーでない?のはもったいないですね。
今回伺って多々思うところがあるので、書いてみました。
横山石神神社のユニークさあるいは謎
1.ご祭神の天永龍王大明神とは
明神・大明神というのは、神仏習合における仏教的な、神様の称号です。
横山石神神社は神仏習合の盛んな平安時代後期の、天永元年に創建されました。
年号と同じ名前ですね。
2.参拝可能時間が短い
知らずに訪れた参拝客が驚くのは、大鳥居の前のバリケードです。
神社というのは普通、早朝から少なくとも夕方までは参拝OKなのですが、こちらは朝10時~14時まで。
時間外に来てしまった場合は、大鳥居の手前で遥拝するよう札が下がっています。
3.神社につながらない道に社標が建っている
横山ビジターセンター北側駐車場前の細い道の辻に、小さめの社標が建っていますが、この道を進んでいっても神社には行けません。
民家の庭に入ってしまうので、遠慮しましょう。
4.写真撮影は鳥居のかなり手前の1か所からのみ、と決められている
5.鳥居に配線がある
天永龍王=闇龗神(くらおかみのかみ)でした
まずは1.について。
霊験あらたかと言われる神社の由緒が知りたいということで、調べてみました。
石神さんというからには、やはり自然崇拝時代の石の神様があったようです。
現在拝殿から見えるのは、どう見ても現代の石加工業者さんが龍のアウトラインを切り出した石ですが、誤解しないでくださいね。
これはご神体ではなく拝代というものだそう。
ご神体は見えないように本殿の中にあるとのこと。なるほど。
神社の創建は天永元年(1110年)、真言宗修験の霊場「大乗院圓城寺」を開山するにあたり地主神の守護を得るべく、「天永龍王大明神」を祀る社を立てたのが始まりです。
平安時代の末期で神仏習合なので、神様の名前も仏教ぽい。…と思っていたら。
筆者が驚いたのは、ご祭神は神道的に言うと闇龗神だったからです。
火の神を産んで伊邪那美命が亡くなったため、伊邪那岐命が火の神を斬り、その血から生まれたのが闇龗神でした。
そんなにメジャーな神様とは言えませんが、高龗神と共に京都の貴船神社のご祭神でもあります。
神仏習合では神様は仏・菩薩の化身とされることから、名前も神様の名と仏・菩薩としての名を持つんですね。
「天永龍王、またの名を闇龗神」という感じでしょうか。
筆者的には、なんてったって伊勢志摩ですから、伊勢神宮の天照大神ともすんなりとつながる、闇龗神の方が耳なじみが良かったのです。
もう一つ驚いた理由は、今年の夏全く別の方向から白山信仰について調べていて、その時出てきた「九頭龍伝説」が、高龗神と闇龗神に関係していたからです。
越前には白山から湧き出る豊富な水と九頭龍川がありました。
高龗神は山上の龍神、闇龗神は谷底の龍神と言われ、横山石神神社はまさに谷底なので闇龗神なのです。
2神とも水を司る神つまり龍神様で、京都の貴船神社が総本宮とされています。
意外な所が、高龗神・闇龗神で繋がりました。
横山石神神社の右手には今も水辺があり、その昔は浜に通じていたそうですが、今はすっかり街になったため、こちらもふさがってしまったのだそうです。
ご祭神がこれまで天永龍王と紹介されてきたのは、宮司さん曰く、闇龗神はいわば代名詞、天永龍王は固有名詞、とのこと。
訓読みで「あまながさん」と呼んでおられるそうです。
横山石神神社のご祭神は他にもやはり水神の天之水分神・罔象女神や、国常立神・少彦名命・大己貴命・倭姫命・天満大自在天神(菅原道真公)がいらっしゃいます。
往時の大乗院圓城寺は横山の各山谷にまたがり、7堂伽藍をなして修験道場として隆盛を極めたのだそうです。
文禄2年(1593年)に火事で全焼し、その後寺院のみが平野部に移転して再建されました。
創建以来900年の間に何度となく天災・火災に被災し、その都度鳥羽答志や安乗・御座・南伊勢からも寄進があって再建され、遠く紀伊長島からも参拝に訪れたとのこと。
農業・漁業・商業・工業のあらゆる生業繁栄成就の石神さんとして崇敬を集めたそうです。
その頃は相差より有名だった様子ですね。
真珠養殖で有名な御木本幸吉も厚く崇敬し、願掛けをして成就されています。
横山展望台周辺の見どころの一つになったら
2.3.は主に所在地、地形の問題ですね。
東向きの谷のようなので朝はともかく、夕方は早くから陰るのかもしれません。
秋冬の夕方は、人けがないとちょっと怖いかも。
例えば横山展望台を訪れた観光客が、見どころの一つとして立ち寄れたら良いのですが。
神社の場所がわかりにくい
横山石神神社は展望台への登り口にある、ビジターセンターのすぐ目の前と言っても良い所にあります。
それなのに場所がわかりにくいのです。
大鳥居は木々に隠れてビジターセンターからは全く見えず、もちろん社殿も見えず、その下に神社があると初めから知っていないとスルーしてしまいます。
展望台に来た人が、登っていく途中にある小さな祠に気がついてお参りをしても、展望台の下の格上の神社には気がつかずにそのまま帰っている、ということがある訳です。
かつて参道は3本あった
道については、かつて石神神社へ通じる道は3本ありました。
①今と同じ道ですが人が通れるだけのカーブした下り道と②上の道路から石段でまっすぐ降りてくる道と、③先に書いた社標のある平坦な道でした。
横山一帯に登山道や遊歩道が整備され、桜の植樹などで「創造の森横山」の建設が始まったのは今から65年前。
ビジターセンターが設置されたのは平成11年(1999年)なので、その頃に今のような直通道路ができたようです。
筆者は社標の残る道が元々の表参道だったのではとの推測をしましたが、宮司さんのお話ではその道は神社の土地ではなく、いわば私道を使わせてもらっていたようなのです。
そこを横切るような形で展望台に通じる立派な道ができたということですね。
土地所有の関係でやむを得なかったとはいえ、参道の一つが閉ざされたのには変わりありません。
地元で長年崇敬されてきた神社への配慮として、せめて高低差なく道ができていたら、神社にも行きやすかったのに、それは無理だったのでしょうか。
もしくは上の道あたりに移転できればよかったのにと思い、聞いてみました。
宮司さんはこんな風におっしゃいました。
横山展望台のカフェテラスからみはらし展望台に行く途中、右側に八大龍王や和多都美大神(綿津見大神・海神大神とも)・妙見大菩薩等を祀った祠がいくつかあります。
この山の上の神様が、下の谷の神様の方が格上なので、位置を交代しましょうかと言ったところ、谷下の神様が「私はここが良いのです」とおっしゃったとのこと。
ああ、そうでした。
闇龗神は谷底の龍神様でしたね。
なかなかロマンティックな解説。
相差のように参拝客がひっきりなしという訳でもないなら、宮司さんが一日中谷に閉じこもっているのは確かに大変です。
それで参拝時間の短縮となったのか、要は参拝客が増えれば良いのかは、わかりません。
現状では御朱印やこちらの神社独自の「願い石」は電話呼び出しか予約制にして、参拝は自由にされたらどうかとも思うのですが。
夕方以降暗くなったら谷底に陰の気が満ちてさすがに怖いので、わざわざ制限しなくても良さそうな気がしますね。
神社のたたずまいは清浄でありたい
そして4.5.について。
余計なことですが、神社は清浄であるべきと思うのです。
神社ではご神体が見えなくても当たり前。
拝殿・本殿以外何もなくても古びていても、神聖な感じがしてありがたみがあるくらいで、神宮の瀧祭神や風日祈宮、伊雑宮など、あげるときりがありません。
写真はダメというのもわからなくはありません。
神社的には恐らく純粋な意味で、神様を写真に撮ってはいけないということなのでしょうが。
そのことと鳥居とのギャップが大きく感じられて戸惑います。
鳥居というのは俗世間と神域の境界を示すと考えられているので、そういうものに配線をかけ渡すのはまずいのでは。
どうしても必要なら電柱を別に立てて、そちらに配線していただきたいのです。
神社を愛する参拝客としてぜひ、お願いしたい。
神様を敬う気持ちは同じと思うので、ぜひ由緒ある神社を守っていただければと思います。
後日談
宮司さんはやや頑固ですが知識豊富で、神様についてのお話をしていると、なかなか楽しいです。
ぶしつけながら、上に書いた疑問やお願い等をぶつけてみると、憮然とされることもありましたが、多少通じるところもあるようですよ。
きっと神様にも聞こえているに違いありません。
鳥居の件は変わっていませんが、境内に微妙な変化も感じられます。
以前より参拝客も増えている様子にお見受けしたので、筆者も嬉しいです。
神社は神様と人が集う所、ですからね。
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