伊勢神宮内宮の神様と言えば天照大神ですね。
神宮の正宮では個人的なお願いをしてはいけないのは今や有名な話。
個人的なお願いは、天照大神の荒魂を祀る別宮の荒祭宮でなら、しても良いのだとか。
筆者は毎年一度神宮を参拝するようになって久しいのですが、いつもは清々しい思いで参道を歩き、何事もなく参拝を済ませて帰っていました。
お願いと言ってもごく普通の、健康と暮らしの安泰を祈ったりする程度だったからでしょう。
でも今年の参拝では、昨年あたりから何ともモヤモヤすることがあって、心の整理ができないままストレートにぶつけてしまったのです。
そうしたら参拝直後、ホントにすぐに返事があって、震え上がってしまいました。
神宮でお返事があったのは初めてです。
新年早々他の神社?の参拝の仕方を批判したばかりなのに、自らも邪念を持ったままだったのはお恥ずかしい限り。
まあ筆者がいけないんですけど、やっぱり神様っていらっしゃるんだなと思ったのと、反省してモヤモヤについてきちんと考え直してみたのでした。
何が起きたか
その日は天気予報で今季最長の大寒波が来ると予想されていた、最初の日でした。
伊勢市は太平洋側でめったに雪は降らないし、予報でもまだ晴れと曇りのマークのみ。
でも強風予想は出ていた気がします。
神宮の森のたくさんの枝が強風にざわざわと揺れ、木の葉や小さな枝がたくさん散っていました。
ただ大木の森のおかげか、地表の方はそれほどの風ではなく、髪が吹き上げられたり歩きにくいといったことはありませんでした。
筆者は瀧祭神、風日祈宮、正宮と参拝しましたが、今思えば荒祭宮では参拝というより悩みごとの「吐露」あるいは「暴言」を吐いてしまったのですね。
石段を降りて少し歩いたところで、何かが筆者の左肩をかすめた足元で、「ぱあん」と大きな音をたてました。
振り返って見ると、頭上高くで折れたらしい大きな枝が落ちていたのです。
相当高くから落ちないとあんな音はしないでしょう。
直撃しなかったのは幸いですが、アレが頭上に落ちていたらと思うと、かなりビビりました。
筆者の後ろを歩いていた若いカップルも驚いて、大丈夫ですかと声をかけて下さったほど。
なにしろ枝葉が肩に触れてはいたので。
いくら願い事を言っても良いとはいえ、やはり言ってはいけないことがあると思い知った次第です。
強風という原因があることだし偶然には違いありませんが、筆者的にこれは叱られたとしか思えませんでした。
筆者でなくても神社で変わったことが起これば、気になりません?

モヤモヤの原因は長年の心情のせい?
事の起こりは今年92になる叔母が一昨年あたりから、わがままが強くなり始めたことでした。
親戚のよしみで都合をつけてはお相手をしていたのですが、近ごろ頻繁になってきたのと、段々自然な呼び出しではなくなってきた感じなのです。
昔から押しの強い人でしたが、唐突に万葉集の本をあげるからとか、筆者の亡母のお墓参りをしよう(この寒風吹きすさぶ日に!?)とか、いかにもこじつけた理由で呼び出すのを不思議に思いました。
要支援2ですが、まだ自分で買い物にも行くし記憶力もしっかりしているので、軽度認知障害(MCI)とも言えなさそう。
従妹と話してわかったことですが、叔母は近ごろ従妹に邪険にされている様子なんです。
叔母一家は全員学校の先生で、叔父は教頭を勤めていました。
昔からこの家に伺うと、応接セットに座って世間話も近況報告も全部訓示になるので、筆者は正直居心地がよくありませんでした。
一人娘の従妹も品行方正で、筆者とは大違いのため本音で話すのが恥ずかしく、子供時代そんなにも親しくできなかったのです。
でも大人になって困った時に助けてくれたのは叔父・叔母ではなく彼女だったし、他人を悪く言うこともないし、よくできた子だなあと思ってきました。
そして同じ教員の彼と結婚し、実家の敷地の2世帯住宅に住むことになったので、これで叔母夫婦も安心だなと思ったのです。
それが5年ほど前に叔父が亡くなり、自分の家族の問題も起こったのを機に、何十年も抑えていた従妹の感情が爆発したようなのですよ。
筆者に打ち明けたことでタガが外れたような、これまで聞いたことのない従妹の鋭い批判。
叔母の好きな蕎麦の味や東山魁夷の日本画の風情までがとばっちりを受けました。
最近では叔母の言動をことごとく否定するので、かわいそうなくらいですが、叔母は絶対にそれについての愚痴は言いません。
そのかわり筆者に、自分は教養があることや今まで多くの人に尊敬されてきたことなどをアピールして、認めてもらいたいのだなと感じました。
実際、教師の蓄積してきた知識と教養って確かにすごいんですけどね。
筆者は介護職だったこともあり、利用者さんたちの愚痴や自慢話などを聴いてきたので慣れているし、寂しさの裏返しなのもわかります。
利用者家族のやりきれなさもよくわかる。介護職とはそんな立場です。
ただ、その身内のひとりでもあり介護職でもあるとなると、なかなか複雑な心境なんですね。
とはいえ、毎日のように関わっている本人たちの葛藤は筆者の比ではないと思います。
お互いのメンタルのために住宅型有料老人ホームへの入所を考えても良いのでは、と双方に言うにとどまっていました。
この言葉が叔母や従妹にどう響くか、やや心配ではありましたが。
雑念
叔母は昔、筆者に縁談を持って来てくれたことがありました。
「この子の母は養女で、この子は私の本当の姪ではないが、父は姉もこの子も本ッ当に分け隔てなくかわいがってきました」
叔母は見合いの席で、実に悪気なく重大なこととして、これを力説したのです。
なんだかとってもかわいそうな境遇の筆者とその母(笑)。
その時は唖然としましたが、お相手に特に思い入れもなかったし、叔母と縁続きになりたかったらしいお相手の母親が翌日断ってきたのを、良かったと思いました。
その後も、知らなくていい人たちにまでそういうことを言うので、叔母にとっては定番の、ウチは立派な家なんだという認識だったんでしょう。
最近ではいろいろなうっかりフレーズも言うようになりました。
歳を取るということはこういうことなんでしょうか。ちょっと他人ごとではないかもですけどね。
筆者と母はとても相性が良かったので、叔母たちのような葛藤はありませんでした。
それを知っていて自分にもそんな関係を求めるのか、一つ思いあたるのは、筆者は多分従妹の身代わり。
と同時に、叔母に愛情がないのではないが、支配欲の方が勝るのではないかと思いました。
叔母と母は仲が良かったそうですが、それなりにいろいろあったんだろうと思ったりもします。
雑念・邪念を祓えないまま参拝したら
筆者への執着が強くなってきたなぁと感じて気が重かったこのごろ。
良いことも悪いことも、親族ならではの、昔の話も思い出してしまう。
叔母にも従妹にも恩義はあるし、かといって叔母の欲求を満たす存在にはなれないし、どうしたらいいんだろう。なにしろ断わっても「少しくらいいいじゃないの」と言う叔母です。
ちょっと憂鬱な気分のまま、神宮に参拝しました。
叔母の年齢を考えると余命もそんなに長くはないと思う、本人も従妹も私も苦しむことなく安らかに寿命を全うしますようにと願ったのです。
そうしたら、すぐに冒頭の「ぱあん」。
そうです。人智を尽くさず、願ってはならないことを願ってしまったのでした。
気がついたその日一日とても後味悪かったです。
荒魂は「積極的・活動的・勇猛果敢」な面を祀っているのであって、ネガティブな心の後押しをしてくれるものではないのでした。

人間対人間の付き合い方を考えた
筆者がいけなかったのは、自分のできることを制限・固定化してしまい、受け身であったことだと反省しました。
叔母の希望だからといって無理に言う通りにする必要はないし、貶められる理由もないので、嫌なものは嫌だときちんと言うことにしました。
もちろん言葉は選ばなくてはなりませんが。
認知症を患っている訳でもなく、人間対人間の付き合い方ならもっと楽にできるはず。
患っていてもできるんですけどね。筆者はそれも忘れていました。
今後は呼び出しを待つのではなく、ちょっとした時間に立ち寄ってみたり、気にしているよという安心感が与えられるようにできればいいかなと思っています。
恐らくそれが従妹の助けにもなるんじゃないかな。筆者なりの二人への恩返しになればいいと思います。
有料老人ホームは本人と家族を助けるための所なので、検討しても決して悪い所ではないのですが、その前に私ができることをしてみようと思った次第。
今度は皆が幸せに過ごせることを願います。


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